【寄稿記事】匿名の歴史と暗号資産の現在――Decredを添えて

※当記事はぼんさいじ氏の寄稿記事です。


今回は、「匿名」の概念や歴史をひも解きながら、暗号資産やDecredについて考えていきます。

前菜(オードブル)――「匿名」という言葉を解剖する

まずは、「匿名」の定義について見ていきましょう。

なお、「匿名」の反対概念は、顕名や記名が該当します。

① 匿名の意味

「匿名」は、「匿」と「名」に分けられます。「匿」には、「かくまう・かくれる・姿をかくす・公にしない」などの意味があり、文字通り「名を匿(かく)す」が原義です。

一般的には、「何らかの行動をとった人物が、誰であるか分からない状態」を指します。「匿」という漢字は他にも、「秘匿」「隠匿」「匿(かくま)う」という形で使われます。

② 英語での表現

英語で「匿名」に相当する単語は、 namelessfaceless などがあります。代表的なのは「 anonymous(アノニマス、匿名の)」です。

派生語として 「anonym(匿名者、匿名)」、「anonymity(匿名性)」や「anonymize(匿名化する)」があります。

anonymousの語源は、古代ギリシア語の「ἀνώνυμος(名無し)」に遡ります。

スープとパン――「匿名」の法的位置付け

日本・アメリカ・ヨーロッパのいずれにおいても、「匿名」は表現の自由を担保するための重要な手段であり、法的保護の対象として認識されています。

① 日本における法的位置付け

日本の憲法学説では、匿名表現の自由は、日本国憲法第21条の保護領域に含まれるとされています。

また、著作権法第19条では、「著作者は、著作者名を表示しないこととする権利を有する」と規定していて、匿名は憲法・法律によって認められた権利の一つといえます。

日本国憲法 第21条第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

② 欧米における法的位置付け

アメリカでは、Talley v. California 事件(1960年)において、連邦最高裁が以下のように判示しています。

匿名のパンフレット、リーフレット、小冊子、そして書籍は人類の発展に大きく寄与してきた。歴史的に、迫害を受けてきた集団や組織は、しばしば匿名、あるいはまったく姿を見せずに、抑圧的な行為や法を批判することができた。

また、ヨーロッパ人権裁判所は、2021年に以下のように述べています。

匿名性は、とりわけインターネット上において、意見・アイデア・情報の自由な流れを促進する重要な手段となり得る。

魚料理(ポワソン)――「匿名」が歴史を動かした

「匿名」は、現在、社会のさまざまな場面で使われています。

ここでは、「著作物」「選挙」「論文査読」における「匿名」について見ていきましょう。

①著作物における「匿名」

多くの作家は、本名とは別に「ペンネーム」を使います。個人情報や思想信条を守るためです。

例えば、大ヒット漫画『鬼滅の刃』の作者「吾峠呼世晴」氏は、ペンネームであり、その素性は秘匿されています。

また、歴史的にも、著作物の匿名は、重要な役割を果たしてきました。

1789年にフランスでシェイエスが匿名で発表したパンフレット『第三身分とは何か』は、フランス革命の引き金となりました。

アメリカでは、宗主国イギリスの国王の横暴を批判し、アメリカ独立戦争に火をつけたトマス・ペインの『コモン・センス(1776年)』も、当初は匿名で出版されています。

また、アメリカ合衆国憲法の礎となった論文集『ザ・フェデラリスト(1787−1788)』も「パブリアス」という匿名で発表されました。

こうした歴史的経緯を背景に、アメリカの連邦最高裁は、1995年のMcIntyre事件において、以下のよう判示して、匿名で発言する権利を言論の自由の一部として承認しているのです。

匿名を維持する著者の決定は、アメリカ合衆国憲法修正第1条によって保護される言論の自由の一局面である。

②選挙における「匿名」

選挙は「秘密選挙」と「公開選挙」に分けられます。秘密選挙とは、誰が誰に投票したかを秘密にする制度で、有権者が圧力や干渉を受けずに自由に投票できるようにするものです。

秘密選挙の原型は、古代ギリシアのアテナイで行われた「陶片追放(オストラキスモス)」とされています。独裁者になる恐れのある人物の名を陶器の破片に刻み、一定数が集まるとその人物は10年間の国外追放となる制度でした。

近代において、最初に秘密選挙を導入したのはオーストラリアです。1856年に南オーストラリア州とビクトリア州で実施され、1901年までに国内すべての選挙へ広まりました。その後、世界中の民主主義国家に波及しています。

③学術論文の査読における「匿名」

「査読(peer review)」とは、投稿された論文を専門家が審査することです。主な形式は次の三つで、時代を経るごとに「匿名性」が増していきました。

オープン査読

「オープン査読」とは、査読者・投稿者双方の氏名や所属機関が公開される形式です。1660年にイギリスで設立された、ロンドン王立協会の初代事務局長ヘンリー・オルデンバーグが、外部の人間に初めて論文の査読を依頼した人物といわれています。

シングルブラインド査読

「シングルブラインド査読」とは、査読者の匿名性は守られますが、投稿者の素性は査読者に開示される形式です。1833年頃から徐々に広まりました。

ダブルブラインド査読

「ダブルバインド査読」とは、査読者・投稿者がお互いの素性を知らない状態で行われる形式です。1990年頃から英語圏で普及し始めました。投稿者の性別・年齢・名声などによる偏見を排除できる利点があります。

このように「匿名」で行われる査読だからこそ、著者ではなく「論文の内容」が正当に評価されるといえます。

「X」などのSNSも、ある種「査読」と似た構造を持っています。「X」では、匿名アカウントで自由に発言や議論ができます。一方、不適切な発言や事実と異なる情報を発信した場合には、炎上することがあります。これは、その投稿を目にした人々が、ある種の「匿名の査読者」となり、内容の正確さを厳しく精査するからかもしれません。

肉料理(ヴィアンド)――「匿名」が暗号資産を支える

歴史的・文化的な背景の積み重ねを経て、「匿名」はプライバシーを守りながら自由に発信できる、社会に不可欠な概念へと発展してきました。

そして、匿名文化からサイファーパンク思想が生まれ、その流れを受けて暗号資産「ビットコイン」が2009年に誕生します。

ここでは、「匿名」が暗号資産でどのように使われているのかを見ていきましょう。

① ミキシング

ミキシング(mixing)とは、文字通り「複数のものを混ぜ合わせる」ことです。暗号資産におけるミキシングは、「誰が誰に送金したか」を分からなくするための仕組みです。

そもそも、ブロックチェーン技術の特性上、すべてのトランザクション(取引)は公開されており、検証・追跡が可能です。

しかし、逆を言えば、プライバシーがないという問題が発生しますし、プライバシーを重視する人にとっては、誰かに取引を追跡されることを嫌います。そのような場合には「ミキシング」が有効です。

ここでは、ミキシングの仕組みについて、ビットコインを例に挙げて簡単に説明します。

<ミキシングの仕組み>

①まず、利用者がミキシングサービスにビットコインを送金します。

②次に、サービス側は、複数の利用者から集めたビットコインを一括管理し、送金元と送金先が直接つながらないように混ぜ合わせます。

③最後に、指定したウォレットアドレスへランダムなタイミングや分割払いで払い出されます。

このようにミキシングは、匿名やプライバシーを重視する観点から生み出されたのです。

② 完全匿名の王者「Monero(XMR)」

暗号資産には、「プライバシーコイン」という分類があります。「プライバシーコイン」とは、「取引情報を隠すために特別に設計された暗号通貨」のことを指します。「Monero」は、匿名性に完全特化したプライバシーコインとして有名です。

「Monero」は、送信者・受信者・送金額をすべて秘匿する設計で、プライバシー保護が必要な取引や検閲耐性(改ざんできないようにするなど)が求められる取引に使われます。

また、技術的には、送信者を特定できなくする「リング署名」や、取引履歴から受取先を判別できなくする「ステルスアドレス」などが採用されています。

そして、Moneroは、CoinMarketCapの時価総額ランキングでは15位(2026年6月3日時点)に位置する人気のプライバシーコインです。他には、Zcash(ZEC)やDash(DASH)なども同じプライバシーコインとして分類されます。

③ 本人確認不要の分散型取引所「DEX」

DEX(分散型取引所 Decentralized Exchange)は、仲介者を介さずにデジタル資産を直接取引できるプラットフォームです。本人確認(KYC)なしに、自分のウォレットを接続するだけで取引が始められます。

また、世界初のDEXは、2014年誕生の「Counterparty」とされ、その後雨後のタケノコのように、数多くのDEXが登場しました。代表的なものとしてはUniswap、PancakeSwap、HyperLiquidなどがあります。

現在、DEX全体の1日あたりの総取引量は1兆円を超え、日々その存在感を高めています。

デザート――Decredが選んだ「匿名」のかたち

最後に、Decredにおける「匿名」がどのように使われているのか、その特徴を見ていきましょう。

①ユーザー自身が「匿名」か否かを選択できる

Decredは、Moneroのような完全な秘匿性を採用する暗号資産ではなく、CoinShuffle++という技術を使った「オプトイン型のプライバシー機能」を採用しています。「オプトイン」とは、「利用者自らが事前に同意する」ことを指します。

つまり、Decred利用者にとって、「プライバシー機能を使うかどうかは、自分で選択できる」ということです。

ただし、Decred公式「CoinShuffle++」のページには、以下のように記載されています。

「This process allows for the creation of untraceable transactions, but the amounts are still publicly visible(追跡不可能なトランザクションを作れるが、金額は依然として公開される). 」

要するに、「送信元」と「送信先アドレス」を結びつけられなくするが、送金額は秘匿されない、ということです。

なお、「オプトイン」の反対概念は、「オプトアウト(利用者自らが事前に同意しない)」です。

②開発初期メンバーは「匿名」だった

ニュース記事からの情報ですが、Decredは「tacotime」氏と「_ingsoc」氏という匿名の人物たちによって開発されました。

つまり、Decredは「匿名」によって始動したプロジェクトともいえます。

これは、ビットコインが「サトシ・ナカモト」という匿名の人物による論文から始まったことと相似しています。

③専用ウォレットを「匿名」で利用できる

公式推奨ウォレット「Decrediton」と「Bison Wallet」は、KYC登録なしにシードフレーズを設定するだけで利用できます。

「Decrediton」では、提案への賛否投票が「匿名」で行えるほか、上記のオプトイン型のプライバシー機能によって、送信者・受信者情報などのプライバシーを保護する機能も備わっています。

④専用コミュニケーションツールも「匿名」かつ「検閲なし」で利用できる

Decred専用のコミュニケーションツールとして、「Bison Relay」が用意されています。

Bison Relayは、管理者不在のチャットアプリで、匿名で利用できるだけでなく、機密情報を検閲されることなく送受信できます。

このようにDecredでは、ユーザーのプライバシーを重視した設計が随所に見られます。

お会計――まとめ

「匿名」は、個人のプライバシーを守り、社会からの不当な権力や圧力から人々を保護するための重要な権利です。

歴史の中で人々は「匿名」を自らを守る盾として活用し、今日では著作物・選挙・査読など、社会のあらゆる場面で当たり前のように使われています。

そうした中で、Decredが提供する「オプトイン型プライバシー機能」は、「プライバシーを守るかどうかを自分で選べる」という大変魅力的な特徴を持っています。

「匿名」の持つ意味と価値について、ときには立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか。

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